
にと心を鬼にするしかありませんでした。
しかし、寮母先生は皆んな良い方で、娘にも我が子のようにやさしく、勉強も熱心に教えて下さいます。親以上に接して頂いて本当にありがたく、ただ感謝するばかりです。
結局、小学部一年から中学部三年まで静岡ろう学校の寄宿舎にお世話になり、学校寄宿舎のお陰で卒業することができました。
高等部は沼津市の学校に統合されたため、当然、寄宿舎生活をせざるを得ませんでした。でも高等部となれば一人で家にも帰れるようになって、「随分、成長したものだ」と思いました。
小学部一年から高等部三年まで十二年間もの寮生活を送ったわけです。娘にとっては辛い苦しい、また淋しいことが沢山あったろうが、それがまたプラスになったと思います。
この間、電話ができないため、どれだけの手紙を書いたことか。とにかく文字と言葉を一致させながら、手紙を出すことが何よりもの情報交換でした。
高等部卒業、和裁の道を選び静岡の和裁所に入りました。これもまた通えないため住み込みになりました。でも、二年目に体の不調で和裁を諦めました。ちょうど二十歳で、成人式は我が家で迎えました。そのとき娘から、「私は二十五歳までには結婚します」と言われ、びっくりしました。、
この年の四月から紳士服の縫製会社に入社、本人も初めて家から通い体も仕事も安定、毎日楽しそうに通勤しました。あのころの娘の姿が懐かしく思い出されます。
せっかく、良い会社に入って仕事も慣れてお互いに喜んでいるのもつかの間「親の会」の行
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